「波乱万丈な人生に終止符。一生頑張れる仕事に就きたい」
高校を中退して18歳で結婚したものの、20歳で離婚することに。子供を自分の手で育てるため、トラックの運転手をしながら働きました。その後、派遣会社に登録して、クレジット会社の営業企画などさまざまな業務をこなしましたが、子供が中学生になったことを機に、派遣ではなく、一生頑張れる定職に就くことを考えました。いろいろな派遣体験をしてわかったのは、私は人と関わることや話を聞くことが好きということ。この先、養育費もまだ必要ですし、女性の私でも一生続けられる安定した仕事に就きたい。そうして興味をもったのが作業療法士の仕事です。しかし、作業療法士の資格を目標とする大学・短大・専門学校に入学するために、高卒の資格をとらなければなりません。まずは大検合格、そうしてようやく資格取得に向けてのスタートラインに立つことができたわけです。
「授業料免除、友人の励まし、先生の指導…ホントいいところだらけ」
関西総合リハビリテーション専門学校(以下KRC)に入学を決めたのは、第一に学費が安かったこと。社会人学生に対する初年度の授業料免除は大きな魅力でした。留年して学校からの経済的支援を無駄にしないよう勉強は頑張りましたね。ただ私のクラスはほとんどが社会人学生だったため、精神的にも随分楽でした。後戻りできない、皆で頑張ろうと励ましあって。またKRCは生徒と先生の仲がいいんです。それもこの学校で学んでよかったと思えるポイントとなっています。学科長の長倉先生や担任の冨本先生にはいろいろな話を聞いていただきました。うじうじと悩んでいると、「パッと遊びに行って、ストレス発散しておいで!」と。勉強するときは集中、ときどき息抜きに大好きなサーフィンやスノボも楽しみ、充実した毎日を送りました。一人ひとりの生徒の個性に応じて、的確に学習指導してもらえたからこそ、無事卒業できたのだと感謝しています。
「“ありがとう”。感謝の心を忘れずに作業療法士の仕事」
国家試験に向けての受験勉強中は「ママ、頑張れ!」と息子がハンバーガーやカレーなど、夜食を作って応援してくれました。KRCの先生、友人、親…多くの人の支えがあって、作業療法士になれたのだと思います。だから今度は私が多くの人の支えになれるよう頑張る番です。春から勤める病院は地域に密着した安全で質の高い医療を提供しています。そこで私は高齢の患者様の支援を行いますが、その人らしいリハビリを心がけたいと思います。例えば、もともと農業に携われていた人ならば園芸や土にふれる作業活動を行うなど、その人らしい生活、その人ならではの生きがいを感じられるように支援していきたい。一生懸命に患者様に向き合い、貪欲に知識を吸収して一人前のセラピストになりたいと思っています。ママさん作業療法士として、この仕事には一生関わっていきたいですね。
高校を中退し、早くに結婚したが20歳で離婚。子供を育てるため、とにかくがむしゃらに働いた。トラックの運転手から始め、派遣社員としてさまざまな企業へ。多くの仕事を経験するうちに、自分は人と関わる仕事が好きと自覚、派遣ではなく、安定した仕事に就いて一生頑張ってみたいと思う。
子供が中学生になって子育ても一段落したこともあり、専門学校に入り、資格を取得することを決意。まずは高卒の資格取得をとることから開始。いろいろ調べて、学費が他校に比べ、抜群に安かった関西総合リハビリテーション専門学校へ入学。
3年で必ず国家資格を取得することを目標に、日々勉強に励む。ただ勉強一辺倒というわけではなく、試験や実習終了した休日には先生とクラスメートたちとUSJに遊びにいったり、四国へ旅行に出かけたり。キャンパスライフを謳歌するとともに、卒業後につながる人間関係を手にいれる。
国家試験合格、KRC卒業後は、生まれ育った地元の病院で作業療法士としての勤務が決まっている。海や山に近い田舎町だが、人と深く係わり合い、休日には趣味のサーフィンやスノボも楽しめそうで、今から胸がワクワクしている。社会人としても、子育てする母としても、充実の日々を送っていきたい。