言語聴覚士や理学療法士、作業治療士などの医療業界へ転職するための専門知識(資格)を学習する専門学校【関西総合リハビリテーション専門学校】


KRC YOUR STORY

自身が病気で視力障害に 治療する医療ではなく、治療のあとのケアも大切と気づく

古西隆之さん 言語聴覚療法学科

古西隆之さん


私が言語聴覚士になったのは・・・

「病気からやむなく転職、医療への道へ進む」
姫路で生まれ育ち、高校から産業技術系の短大へ、卒業後、いくつかの仕事を経て、プラスチック製品を運ぶ中型トラックの運転手をしていました。休みもほとんどなく、食事もいい加減だったため、体をこわして入院、良くなって無理をして働いて病気を再発…という生活で、ついにはアトピー性皮膚炎の合併症で白内障に。視力が低下し、運送の仕事にドクターストップがかかりました。それを機にまったく異なる仕事に就こうと考え、選んだのがリハビリテーションの仕事です。自身が病気で視力障害を起こした体験もありますし、治療する医療ではなく、治療のあと後遺症が残ってしまった人の生活の改善を応援したいと。医療というと治療の面に注目が当てられがちですが、障害の面を扱うことのできるセラピストの存在も重要です。何らかのきっかけで障害を持った人の問題を受け止め、その心とカラダの回復をめざし、より充実した生活を送ってもらう手助けをするリハビリテーションの専門家になろうと決意しました。

3年間の専門学校生活で得たことは・・・

「STになりたいという強い意志・目標があれば、頑張れる」
関西総合リハビリテーション専門学校(以下KRC)を選んだのは、場所的なことが大きいですね。運送の仕事でよく訪れていた淡路島は自然が美しく、心が癒されたこと。また周りに何もなく、遊びに惑わされず勉強に集中できることもポイントです。実際に、28歳でKRCに入学してからはよく勉強しました。高校受験や大学受験のときよりも頑張りましたね。机に向かって同じ姿勢で何時間も過ごすものですから、クビの後ろが筋肉痛になったほどです(笑)。こんなに勉強する自分に驚きました。病気が再発したら…という将来への不安もありましたが、最後まであきらめずに頑張れたのは実は環境よりもクラスメイト、親身になって指導いただいた先生の存在が大きいと思います。また国試のための知識だけではなく、臨床について深く学び、経験を積むことができたのも、特定医療法人を母校とするKRCならではの特徴だと思いますね。経験で気づき、前へ進めたことが自信へと変わっていきました。この仕事は、経験が増えるほど見えてくる課題も多くなりますが、面白くもなってくる仕事だと思います。

言語聴覚士について

言語聴覚士の仕事は、目に見えない障害領域をいかにできるように誘導するかにかかっており、患者様といかにコミュニケーションを上手にとれるかが大切。うまくしゃべれるからコミュニケーションがとれているのではありませんし、話すことができないことで、心を閉ざし、自分の世界に閉じこもられている方もおられます。訓練を行う中で、練習していたことがうまくいった時の患者様の笑顔や満足そうな表情に出会うことが一番うれしい時です。はい・いいえのボタンでしか会話できなかった患者様とともに発声の訓練を続け、約2年かけて声をだすことができたときは、ご本人はもちろん奥様、そして私も心から感動しました。今はこの道を選んで良かったと心の底から思っています。大げさに聞こえるかもしれませんが、一生をかける価値のある仕事だと感じています。

医療技術の発展で、脳血管障害などの障害を残す疾患の救命率は向上しましたが、その先にある患者さんの生活復帰についてはまだまだな部分が多々あり、リハビリテーション技術者は今後ますます、需要が大きくなることでしょう。僕自身も未だ勉強中、前へ進みたいと思います。自分は何をしたいのかという気持ちにブレがなければ、いくつになっても人は前を向いて進んでいけるものです。もし悩み、戸惑っている人がいれば、ぜひ一歩踏み出して挑戦して欲しいと思います。

キャリアアップストーリー

1997年

勤めていたプラスチック成型会社が倒産。当時の上司が立ち上げた新しい会社を手伝うが、あまりの忙しさからストレスがたまり、アトピー性皮膚炎にかかる。入退院を繰り返すうちに合併症で視力が低下し、転職を余儀なくなれる。自身のカラダのことを考え、リハビリテーションの道へ進むことを決意。

2002年

決意 関西総合リハビリテーション専門学校に入学。学校が契約するマンションに一人暮らしし、毎日勉強に励む。ストレスをためると病気が再発するため、余計なことは考えず、勉強に集中する毎日。

2005年

充実 国家試験に無事合格。卒業後は姫路の病院で地元の高齢者を対象に、摂食嚥下障害の治療を中心に3年ほど従事する。KRC時代に教師として学んだ岡山大学附属病院の言語聴覚士の先生に誘われ、自らのスキルアップのために転職。

2012年

やりがい 岡山大学附属病院へ転職。主に脳腫瘍や頭頚部腫瘍、変性疾患などの言語聴覚障害全般および摂食嚥下障害を対象に、評価・訓練を行う。新しい環境で日々多くのことを吸収し、充実した毎日を送る。